アラフィフにして惑う

~趣味のことやら日々のことやら~

夜行列車と朝の京都

お題「夜行列車の思い出」

 

 就職してそれほど経たない頃、いまはもうない夜行の「急行銀河」に乗って、朝の京都を巡ったことがありました。

 当時は都内で働いていまして、金曜の夕方、仕事が終わってからそのまま京都に向かいました。

 どこで食べたか忘れましたが、夕飯のあと、まずは新橋へ行き、当時やっと普及し始めたインターネットで調べた「金春湯」でひと風呂浴びます。そして、東京駅八重洲口地下街の「マイアミ」という喫茶店で時間をつぶして、急行銀河に乗り込みました。

 余談ですが、調べるのに使ったパソコンのOSはWindows95。ネットの接続はダイヤルアップで、ネットを使うと電話が使えなかったんですよね。モデムが、「ピー、ガー、・・・」って音をたてましたね。ああ懐かしい。

 戻りますと、寝台は、少しでもしっかり寝たいと思ってA寝台にしました。といっても、寝台の幅は広いけれど、カーテン1枚で通路と仕切られてるだけなので、セキュリティが何となく心配。それ以前に自分の枕以外ではよく寝られない私なので、寝台列車でがっつり寝られるわけもなく、途中、小田原あたりまでの記憶があるんですよね。

 そして、京都の手間、大津あたりで起き上がり、身支度をして京都駅で降ります。ここでお客さん半分くらい降りたような。その後は、朝早すぎて、お寺さんが開いていないので、UCCか何かの喫茶店で初めてのひとりモーニング。なんか大人になった気分でした(いや、もう大人だったんだけど)。

 そして、ほどほどに時間をつぶし、銀閣寺へ行き、高校生の修学旅行では感じなかった風情とかありがたみを感じました。そのあと、名前にひかれて哲学の道を歩きました。朝の哲学の道はさわやかでした。途中、西田幾太郎さんの言葉が刻んである石碑があった気がするのです。調べてみたらこれでした。

 「人は人、吾はわれ也、とにかくに吾行く道を吾は行くなり」

 周りの目と過剰な自意識に縛られた当時の自分には、すごーくありがたく思えた言葉でした。あの時何度もつぶやいたのですが、そんな風にできれば苦労しなかったってことですね。すっかり忘れてた位なので。

 最後に、良縁と健康を願い、清水寺に行ってきました。寝不足な私はここでギブアップ。良縁も健康もその後ずいぶん長い間手に入らず、というのは後日談ですね。あ、健康は今までずっと手に入っていないや。

 何はともあれ、朝の京都、よかったです。ついでに言うと、寝台列車に乗れる時間がもっと長いと更に楽しめたかもでした。でも、急行銀河がまた走る日は来ないのでしょうね。

 なんたって新幹線で2時間半くらいですもんね・・・。