アラフィフにして惑う

~趣味のことやら日々のことやら~

生きづらさについて(その2 私の偏り)

 先日、発達障害(と気分の波)について若干のカミングアウトをしました。

sidearm47.hatenablog.com

 私の場合、発達障害ADHD)の診断を受けて正直ほっとしました。「自分の努力だけの問題じゃない」「だから生きづらかったのか」と。一方で、自閉スペクトラム症の傾向もわかり、克服したと思っていた問題(特に対人)が消えていなかったことを知って多少のショックもありました。

 発達障害は、その診断名が同じでも、人によって状態像にはだいぶ違いがありますす。私の場合、工夫でカバーしてもなお残っている状態は、例えばこんな感じです。

 

例1. 
  難しいことを「要点はこうです」と簡単に説明したり、文書を作るのはそこそこ得意だけれど、「速く正確に作業をする」のはとても苦手。経理の仕事をすれば、チェックをしてもミスが多くなり、同じ作業に人の倍近い時間がかかる。

例2

 興味の幅が多少狭くて、子どもの頃、同級生が好きなアニメには全然興味がなく、好きなのは電車だった。興味の方向性にも違いがあり、例えば、同級生と同じようにプロ野球は見たけど、好きなチームはみんな(ジャイアンツ)と違って近鉄バファローズ。

例3.

 自分から話しかけるのが元々苦手な上に、人の顔と名前が一致するのに時間がかかる。そこに興味の幅の狭さが相まって、最初のうちは、話すきっかけや話題など、コミュニケーションに結構苦労することがある。

 

 ほかの人より得意なことや、学習してきたこともそれなりにあるので、それで補ってきましたが、どこかに無理があったんだなと思います。大きなトラブルなどがあるとメンタルがやられるという2次障害(?)はどうにもできませんでした。

 この辺の、得意なことと苦手なことの極端な凸凹は、生まれもった脳の問題が大きく、努力だけの問題ではない、ということは、普通の(定型発達の)方たちには理解しにくいようです。

 なので、ある程度何とか出来れば、努力をして、普通の方の社会に紛れ込んで生きていくという感じになるのです(それで難しければ「合理的配慮」をお願いしたり、支援を受けたりするわけです)。

 でも、紛れ込んで生きるのって、なかなか難しいんですよね。。。