アラフィフにして惑う

~趣味のことやら日々のことやら~

生きづらさについて(その3 苦しかったころと生かし方?)

 今日は結構ヘビーなことを書きます。

 私、以前にちょっと書きましたが、発達障害ADHD)と気分の波(双極スペクトラム)を持っています。

sidearm47.hatenablog.com

 そこに、自閉スペクトラム傾向もそこそこあり、特に若いころは苦労しました。

 私が初めて本格的に具合が悪くなったたのは、高校2年のことでした。コミュニケーションの難しさ、気分の波、合わない環境など、色々な要因が絡んでいました。

 その年は、具合の悪いことに、私のクラスに7〜8人のヤンキーがいました。大概は体育館の裏でタバコを吸ったり、多少突っ張る程度でしたが、2時間目が終わると学校を抜け出して雀荘やパチンコ屋に行く連中もいました(その場にいない分実害なかったけど)。

 ヤンキー本当に苦手でした。私、ケンカとても弱いうえに、いじられキャラなので。更に、幼いころ父に恐怖支配されたので、ケンカで勝てそうにない相手の攻撃はとにかくダメなのです。

 あの年は、他にも気の合う人がほとんどおらず、思い返せば「俺は生け花用の剣山に座っていたのか?」という位の感じでした。できるだけ目を付けられないように、気配を消して過ごしていましたが、無理がありました。対人恐怖的な症状(赤面とかチックみたいなのとか)が出て、クラスの一部でそのことが話題になるほどでした。

 今なら、苦しい環境を抜け出して、やり直せる場やチャンスはあるのですが、当時の私の環境にそのようなものはありませんでした。

 母に症状を訴えましたが、全てなかったことにされました(昨年ちらっと話しましたが何も覚えていなかった・・・)。父には、言えば罵倒されること必死。それどころか、うっかりすれば、父の気が済むまで土下座させられるだけでしょう。そんな屈辱を受けるなら耐えようとしか思えませんでした。

 そういうわけで、あと残り何日と指折り数えながら、ただひたすら耐えるのみ。そのせいで深くなったダメージは、自力や専門家の力を借りて癒してきましたが、それでも今も深く残っています。

 せめて娘にはそういう思いはさせたくない。いつもそう思っています。

 そして、いつか私が、そういう困っている子が苦しまずに済むような役に立てるような日が来るといいのですが。願っているだけではダメなんだろうな・・・。

 「株式会社 かたより(仮)」なんて会社でも作って何か始めてしまうのがいいのかなあ??と思ったりする今日この頃です。